あやかしの町の喜劇 ①

4月8日水曜日。

私は四條通りのドトールコーヒーで時間を潰していた。春の暖かな日にカフェで適当に過ごすのはこの上ない贅沢だった。店内はガランとしていて、昼前から居座っても怒られる気配がない。だから机の上の3杯のコーヒカップは私の好意とも言えた。時折、掃除や見回りにくる店員はマスク姿で顔は見えなかったが向こうも暇を持て余してるようだった。

 

どうしてお出かけ日和に時間の浪費を試みていたかと言うと話は1年前にまで遡る。

会社勤めに嫌気が差し、海外周遊を思いついたのが1年前。

そこからなけなしの根性に惰性の助けを借りて貯蓄をコツコツ貯め、学生時代の貯蓄も合わせてようやく旅費を用意することが出来たのが3ヶ月前。

プランを練り、荷物と退職願を用意していたのが3週間前。

退職届と飛行機のチケットを握りしめていたのが先週のこと。

ここまでは順調だったのだ。

出発の前日、徐々に広まっていた感染症の影響を受け各国は他国からの入国を制限。

入国しても行動に制限がかかると聞いて、気持ちが一度に萎えてしまった。

 

なんというタイミングの悪さ…

狙い済ましたかのように今日…

 

私の自分探しの旅は始まる前に終わりを告げた。残ったのは無職の成人済み男性一人だけ。

平常時なら再就職も何とかなろう。ただ感染症の影響は国内にも及び、予防のために営業時間短縮や業務縮小。消費は落ち込み景気は悪くなる一方だった。

こうなると抗うよりも楽しむことが1番大切だと気づき貯蓄を崩しながら人の減った街をブラブラと徘徊していたのだった。

 

今日はドトールコーヒーに昼前から今まで居座りぼんやりと考え事をしていた。

金はあるのだが遊ぶ相手がいないとこれほど空虚なものか…と気分が落ち込んでいた。

思えばこれまでに遊んだ経験があまりなかった。学生時代にはバイトに明け暮れていたし、会社でも同期や先輩と絡むことも少なかった。

彼女は高校生の時いたが、もう名前も思い出せない。それくらい希薄な関係だったのだ。

 

面白いことはないかと仕方がなしに店を出る。向かう先は丸山公園。今なら桜が見れるかもしれないと思って四條通りを東へ向かっていった。

 

七坂神社について愕然とした。

戱園の辺りはまだ人がいたのだが、七坂神社の前は完全なる無人

春の、椋都の、七坂神社だぞ?

世間での事の大きさへの驚きと人のいない七坂神社というレアなものを見て、少しながらテンションは上がった。

境内を歩いても人と出会うことはなく、自分が砂利を踏む足音だけを聞いているとある種の神秘さや畏れを感じた。独り言を呟いても東山に吸い込まれていくようで一人であることを再度突きつけられたようだった。

 

神社を抜けて、丸山公園に至る。

やはり人はいないし、しだれ桜も散り気味で少し寂しそうであった。

ベンチに腰掛け、お前も一人か…なんて声をかけてみたりもするけれど返事があるはずもない。自嘲気味に笑って、空を眺めていた。

しばらくすると、意外にも1人の女性が歩いて来た。2つ隣のベンチに座り桜を見ている。

歳は同じくらいでレモン色のシャツにスキニーのデニム。マスクをしていてもわかるような美人だった。様子を伺っていたのがバレたのかこちらを見て、大きな目を細めて会釈した。

それを見て急いで表情を取り繕って同じように私も会釈をした。

(続)

言い訳

私は今、複雑な心理に囚われている。

ひとつは後悔。ひとつは高揚感。ひとつは脱力感。

いずれも、どうにも真に心を表すことは出来ていないと感じる。

何故こんなことになったのか、ときっと君たちは聞きたいだろうから言い訳を少し綴りたいと思う。

 

きっかけはふとした瞬間だった。

例えば会社帰りの電車の車内で窓の外の夕焼けであるとか、休日のショッピングモールの騒音であるとか、会社でスケジュール帳を確認する時だとか。

そんな些細な時間に立ち顕れる孤独だった。

学生時代は早く働きたいとよく思ったものだが、いざ地元を出て都市部で働いてから気づいた。何にもならない日常にだ。

宗教勧誘のチラシやインチキ臭い科学商品をじっと見てしまう程度に疲れていた。

 

彼女を知ったのは朝、ゴミ出しする時に偶然会ったからだった。隣に住んではいるけれど引っ越して挨拶に行ったっきり、顔も忘れかかっていた頃だった。目が合っておはようございます、とだけ会話しただけだったがマンネリ化した生活に刺激を与えるには十分だった。間違いなくこの時の私は何かの変化を感じ取っていた。

 

そして今に至る。実に疾走感溢れる楽しい時間であった。準備をしていた訳では無いし、そんな気なんて手が動く瞬間までなかった。ただ手を伸ばせば彼女に触れられる状況は神の思し召しだとしか思えなかった。彼女は私の膝に頭を乗せて寝ている。横顔がとても美しい。エアコンの風が心地よい。達成感は確かにある。孤独は小さくなり心が満たされていく。手は彼女の温もりを思い出させる。彼女の顔をもう一度見る。やはり美しい。彼女をお姫様抱っこしてベットに運ぶ。見た目よりずっと重たい。添い寝しながら考える。2人の安らかな時間をどうやって守ろうかと。

 

きっとこの文章を読むのは私達を追いかけて来た方だろう。予め言っておく。ここに書いてあったことは真っ赤な嘘だ。後悔も何も無い。だから最後に伝えよう。

 

捕まえたければ捕まえてみろ。

 

星つなぎ

僕の趣味は天体観測。

深い闇に浮かぶ星々を繋ぐと1つの絵になるのは自然の神秘としか言いようがない。

その様子はとても感動的で日々の疲れをすっかり忘れさせてくれる。

1つ1つの星は詳しくは知らない。

せいぜい有名な星の名前と等級が分かるくらいだ。

それに国ごとに独自の星座もある。いちいち覚えていたらキリがない。

世界共通の星座は88個。その中でも古代ギリシャやエジプト、メソポタミアから伝わるものは特に有名なものが多く、僕達の星座もこれらに含まれる。遥か遠い昔から現代、そして未来へと伝わることに人間の営みの素晴らしさを感じずにはいられない。

 

 

ただ思うのだ。

本当にそれで全部だったんだろうか。

星座は星の集まりだ。それは一つ一つが太陽のような燃える星であり、明るく輝く星ほど激しく燃え、やがて燃え尽きる。

電球の発明や改良によって星が見にくくなった、なんて言う。けれど笑い話でなくて本当にかつてのギリシャで同じ様に空が光っていたのだろうか。

昔はもっと多くの星が輝き、多くの星座が夜空に駆けていたのではないか。

星は少しずつ失われていく。それと同時に生み出されていくものもある。同じように見えて空は少しずつ変わっていくのだ。小さな星の生死が大きな宇宙の構造を変えていく。

僕らの住む地球は自ら発光したりしない。

つまり宇宙の構造に影響は与えないのだ。

僕らにできることは空を見つめ、いつの時代も夜空に美しい星座を描くことだけだ。

分身解放

朝、7時。

気怠げな目覚ましを止める。

「あぁ………ねみぃ…」

「おい、いつまで寝てるつもりだ。さっさと起きろ!」

ベッドの横でメガネをかけた男が言う。

「うるさいな……眠いんだよ…」

声にならない言葉を呟くと

「昨日の朝は遅刻ギリギリで冷や汗かいてた癖に。何も学んでないのか。」

と厳格な彼が言う。

「わかったから…。もうっ!」

酷く不機嫌な顔でベッドから出る。

体は寝ても重いままで階段を自重で降りていく。

居間のソファに倒れ込むと、

「おはよう。朝はトーストで良い?」と母が聞く。

「良いよ…」と答えるものの言葉は口から1メートルも持たずに床に落ちてしまった。

母がトーストと飲み物を持ってきてくれて、のそのそとそれを食べ始める。

テレビは朝のニュース番組をやっているが不倫だなんだとくだらない。

「ヒトの人生に口出しするとかバカのすることだよなぁ?へっ、コレだからニンゲンってのは…」

朝ご飯を食べる隣でいかにも悪そうな顔の奴が言う。発言や見た目から私は勝手に悪魔と呼んでいる。

トーストを食べ終わり、洗面台で顔を洗う。

制服に身を通し、鞄と弁当を持って家を出る。

「行ってきます。」誰に向けてでもなくそういうと、「楽しんでな」と父が答えた。

「楽しいことなんてねぇのにな。ホントわかってないなぁ」

後ろを歩く悪魔が言う。

 

自転車にまたがって走り出す。

通勤通学の時間帯。サラリーマンやら高校生で歩道は走りずらい。車道は車道で自転車と車でいっぱい。

「ジャマだし全部轢いちまうか?」と悪魔の声だけが聞こえる。

勿論、無視し人の隙間を縫って進む。

信号に引っかかり止まって腕時計に目をやる。

ここまで15分。いつも通りのスケジュール。

「ここから先の不測の事態に備えてもう10分、早く出てもらいたいものだがな!」

メガネの男が顔を覗き込んでくる。

「はぁ…」と溜息をつく。「ほんと疲れたよな…学校とかだるすぎ…ゆるゆる行こうよ…早く行ってもいいことなんかないからさ…」

自転車のカゴに収まった小柄な少年が言う。

身に纏う布がカゴから垂れて車輪に絡まりそうだった。

カゴの少年から発するどんよりとした空気に飲まれ、こちらのテンションも急降下した。

自転車のペダルをのんびりと、風に揺れるジャングルグローブより遅く回して学校へ向かう。

校門の前には生徒が長く列を成して学校へ入っていく。「朝からゲンキなこった」と全員が口を揃えて言った。私もそう思った。

校門をすぎて通用門から入り自転車を止める。

教室までの距離が億劫だった。

教室に惰性で入ると彼と目が合う。

クラスで1番仲良くしてる友人だ。

彼は机に荷物を置いたのを見て私の所へ来る。

「ほうら来たぞ!明るく元気に見せるんだ!」

やたらと熱い男が出てきて、まとわりついた湿気た空気を払う。「おはよう!」彼につられて、言いたかった訳では無いのに声が出た。

「おはようー。なぁ聞いて?昨日さぁ…」彼が話し出す。気づけばみんないなくなっていた。

彼の話をうんうんと聞いていた。

彼にとっては今の私が私かもしれない。

でも本当の私は今もまだ眠ったままでいた。

 

 

遠く、山並みの向こうで太陽が沈んでいる。

夕日の光は空を、街を赤く染める。

こんな薄汚れて、人々が出した不幸と鬱憤の詰まった街でさえ、美しく錯覚させる。

いつかあの太陽は大きく膨らんで地球を焦がしてしまうらしい。

そうなったら、この街も全て灰になって、平穏が訪れるのかもしれない。

その瞬間に居合わせたいけれど、それは人にとって、あまりに遠い未来の話であり、私はその前に息絶えるだろう。

それ以前に、私の肺を満たした罵詈雑言と悪意は私を衰えさせて、吐き出さなければ、今すぐにでも死んでしまいそうだった。

吐き出し方は分からない。

生まれた時から吸い込み続けたものだから、吐き出そうにも体の隅々まで行き渡り、完全に取り除くことはできない。

 

柵に身を寄せ、グラウンドをそっと見下ろす。部活に励む生徒が、働きアリのように忙しなく動き回る。

彼らの顔は皆幸せそうだ。

きっと部活動が彼らの生きがいなのだろう。

そのために授業中は居眠りをし、掃除時間にほうきで野球をし、休み時間には昨日の試合の話を大声でするのだ。

私だって部活には入っていた。

ただ、先輩の不条理な頼み事と同級生の傲慢なまでの純粋さにはついていけなかった。

「素晴らしい青春だ!羨ましいよ!」

なんて馬鹿なセリフを思いついて、乾いた笑い声をもらす。

 

目線を動かすとクラスメイトが映る。

昔は、明るく声をかけてくれたのだが、最近ではめっきり話さなくなった。

どこかの誰かが私の悪口を言っていたらしいから、きっとそれが理由だろうと思う。

嫌われるようなことをした覚えもないし、嫌われるほど誰かと親しくもないし、それを真に受けて私を避けることも、何もかもが可笑しかった。

この世はあまりに腐っている。

正しさは歪められ、愛に値札が付き、美しいものは例外なく冒された。

私だけが高潔かと言われるとそうでは無い。

でも耐えられなかった。

美しいと信じた物が壊れていく様子を。

綺麗なものが錆び付いていく前触れを。

だから終わらせたかった。

これ以上、醜く変わるまえに。

 

柵を乗り越える。

こういう時って靴は脱いだっけ?

などどうでも良いことを考える。

もうグラウンドの生徒はいなくなっていた。

日もあと一筋の光が残るだけになり、あたりは暗くなった。

冷たい風が吹きつけてきて、跳ぶのを促しているように思えた。

 

その時、扉が開いてあの子がやってきた。

暗かったせいでこちらには気づかないようだ。

彼女はいつになく寂しげな表情をしていた。

そのまま屋上に寝転び、空を見上げていた。

日も完全に落ちて夜が来た。

彼女の姿もこちらからも見えなくなってしまった。

暫く風の音だけを聞いていた。

「あれ…リゲルかな?」

彼女はそう呟き、私も空を見上げる。

空には強く光る星がいくつかあった。

その後も彼女は独り言を言いながら星を見ていた。

30分程経って、彼女は立ち上がり扉へと歩いて行く。

最後に振り返って、「また星、見ようね」と言って帰って行った。

私は大きく息を吸って、吐いて、柵を乗り越える。

夜闇が深くなり、空に煌めく星が一層明るく見えた。

夢の市

気がつくと、私は広く白い世界にいた。

見渡す限りなにもなく、私1人。

地面の硬さや空気の温度も感じられない世界。

ここにいてもしょうがないと思い、歩き始める。

歩き始めても、どこか身体がフワフワしているような感覚で筋肉が伸び縮みする訳でもなく進んでいく。

しばらく歩くと地平線の上に、何やら構造物が見える。

近づいてみると、それは市場だった。

これまでとは打って変わって、たくさんの人と物が集まる賑やかな場所だった。

そこに並ぶ商品を見て、不意に空腹を感じた。

何か食べ物を買おうとするがお金は持っていない。

迷子だからお店の人も多少は優しくしてくれるだろうと思い、声をかける。

「すいません、そのリンゴ貰えませんか?」

「※〇€〒”∑◇ΞЖ?」

「ごめんなさい、もう1回言って貰えます?」

「※〇€〒”∑◇ΞЖ?」

困った。言葉が通じない。

身振り手振りで伝えようとするが伝わらない。

その様子を見ていた他の人たちがザワザワし出した。

私は恐怖を感じた。

彼らにとってすれば、謎の言葉を話す人間が唐突に現れたのだ。

得体の知れないものは牢に閉じ込めるなり、捕まえて処刑するなりするのが普通では無いのか。

何とかして自分は危険な人間では無いことを伝えなければならない。

もし今、走って逃げようものならヤバい奴である事を自分で証明するようなものだ。

どうしようか…

そんなことを考えていると、周囲の人々のざわめきは一定のリズムになり、市場のテントは白く無機的になり、人々はスーッと消えていく。

目の前が明るくなり、何も見えなくなる。

 

ばっと飛び起きる。

どうやら帰ってこれたらしい。

目覚ましを止めて布団を出た。

「学校行かなきゃ…」

寝ぼけ眼でリビングに行き、パンを焼く。

焼き上がるまで、テレビをつけて、ぼんやりと眺める。

アフリカでクーデターが起こったらしい。

平和的じゃないね、なんて思う。

パンを齧って、コーヒーを飲む。苦い。

牛乳を入れ忘れていた。

冷蔵庫の牛乳を取り出し、コーヒーに注ぐ。

白と黒が混ざり合う。

朝食を終えて、顔を洗う。

髪が伸びて目にかかりそうだ。

シャツを着て、制服のズボンをはく。

上から黒いブレザーをはおり、リュックを背負う。

鏡で身だしなみを確認する。

黒く覆われた私は全身から陰鬱としたオーラが漏れている。

私らしいな、といつも思う。

けれど私は知っている。

その黒さは私の一部に過ぎないのだ、と。

灰色の影(2)

目的地はとある建物の地下だった。

建物に入るとお香のような匂いがする。客を否応なく落ち着かせる罠だと思った。

地下へはエレベーターを使って行く。以前はエスカレーターもあったが今では地上階のみで使われており地下へ向かうものは封鎖されていた。

 

エレベーターの扉が開き、箱を出るとパーテーションで区切られたスペースにスーツ姿の男が二人。手には金属探知機を構え、こちらに歩み寄ってくる。「手荷物検査を」と言われたがポケットの中を確認されただけだった。警備員の男たちは私を見て顔をしかめたようだが気にせず奥へ入っていく。

 

パーテーションの奥には綺麗に並んだ棚がこの階の隅まで並ぶのが見える。棚には本が所狭しと並べられ、本自身が空間の一部としては存在していた。ここは本屋である。地下の1階と2階を本棚によって占拠された本の住む場所であった。

 

本屋であるのに厳重な警備をしているのは、以前爆発事件があったからだ。小さな爆弾であったため大きな被害にはならなかったが新聞でも取り上げられるニュースとなった。

何分、荷物検査なんかをするから来客は少なく、年中閑古鳥が鳴いていた。

 

今日、私がここを尋ねたのはある本を探しに来たのだ。否、「探しに来た」というより「会いに来た」のだ。どこにいるのかは分かっている。もう何度もその本に会いに来たことがあった。規則的な本棚の間を弾むような足どりで進んでいく。

 

目的の本棚にたどり着き、端から眺めていく。織田作之助梶井基次郎の本が並び、さらに目線を動かしていくと一箇所だけ欠けた所がある。そこは例の本があるはずの場所だった。

 

私はその隙間を見て、思わず高笑いしそうになった。急いで私はポケットに入った手帳のページを破り取り、付属のペンを走らせる。書き終わると手帳の切れ端を丁寧に折り畳み、隙間に置いて立ち去る。

 

その切れ端にはこのように書いてあった。

「お買い上げ下さった方へ

 此処に在った本を買って頂き有難う御座います

    其の本は私の処女作で有りました。其の子が

    最後の一冊であります。どうか大事にして

    下さい。私が確かに生きていた事の唯一の証で

    御座います。これで漸く終われるのです。

    どうも有難う御座いました。」